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2006年9月28日 (木)

安倍政権は大政翼賛会であるからやりたい放題である

■安倍政権は自民党が体制翼賛会と化している中で生まれた、ということに注意する必要がある。

立花隆氏の
ドラマのない総裁選で勝利した「花」のない新総裁 安倍晋三
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/060922_hana/index2.html
より、一部抜粋する。
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あの選挙(heart注:去年の9.11衆院選挙)では、造反者が選挙に出ようとしても、党本部がそれを公認しない、無所属で出馬して当選してきても、党への復帰を許さないという強硬手段が取られた。

その強行手段は、戦前、国家総動員時代に大政翼賛会が作られ、その会に入ろうとせず、大政翼賛にも賛成しない政治家たちをパージするときに使われたのと同じ手段だった。彼らは選挙に出ようとしても大政翼賛会からの推薦が受けられず、もちろん資金援助もなく、選挙運動がはじまると、官憲からことごとに妨害を受けた。東条はこれら非推薦議員たちを全部選挙で落とそうとしたのである。

政治生命が奪われたくない政治家たちは、みんな大政翼賛会に入ってしまい、非推薦を貫いて戦い通した政治家はほんのひと握りだった。皮肉なことに安倍の父方の祖父、安倍寛は、その勇気ある非推薦議員の一人だった。いずれにしろ、この大政翼賛選挙で、政府当局に反対する議員はほとんどいなくなったのである。05年選挙で小泉首相が造反議員たちに突きつけた踏み絵は、この翼賛選挙がもたらしたものと同じ反対派一掃効果を日本の政治にもたらしたのである。

大政翼賛選挙のあと、議会は、東条の大東亜戦争完遂を叫ぶ演説に拍手大喝采を送るだけの機関になってしまったのだが、それと同じような変化が、郵政選挙のあとの自民党に見られた。

そのことは、このページにおいても、当時、選挙で当選してきた新人議員たち(いわゆる小泉チルドレン)のビヘイビアが、全体主義国家(第2次大戦時代の日独伊の枢軸国家と第2次大戦後のソ連、東欧、中国、北朝鮮などの共産主義国家群)の議員たちの行動とそっくりであると指摘して批判した(第49回 小泉強権政治がもたらす「自由」と「民主」の末路)。

いまの自民党の惨状は、要するにあの大政翼賛選挙以後に日本の政界がおちいってしまった惨状と同じなのである。
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■問題は、この大政翼賛会的自民党が公明党とともに衆議院議員の3分の2以上を占めてしまっていることだ。
しかも、野党第一党の民主党も、タカ派が多く、教育基本法改悪でも愛国心について記述することに反対していない。
つまり、現在、国会は、与党だけで見ても、野党を含めても、日本の右傾化を進める大政翼賛会になっているということだ。

これは非常に危険な状況である。

安倍政権については、人事や、安倍の頼りなさ(→安倍首相就任会見 「しっかりと」32回「思います」35回、自信のなさ表れ?(産経新聞))を非難したり揶揄したりする声がマスゴミからも比較的多く聞かれるようである。

しかし、安倍は、マスゴミにどうからかわれようと、したいようにできる権限をもっているのだ。

特に教育改革についてはえらくご熱心なようだから、教育基本法改悪は数の力にモノを言わせてゴリ押ししようとするだろう。
それにどれだけ野党が噛み付いていけるか。
また、どれだけ与党の中の比較的良心的な議員(今の自民党や公明党にいるだけで私は十分悪徳議員だと思うが)が教育基本法の改悪に反対するか。
それにかかっている。

国会議員にメールしたり、ブログを持っている議員にはトラックバックするなどして働きかけていく必要がありそうだ。

国会議員のブログを探さないと・・・と思っていたら、ちょうどいいところに喜八ログさんからトラックバック(→政治家ブログ・アンテナ)を戴いた。

「政治家によるブログ」のアンテナhttp://i-know.jp/kihachin/)を作ってくださったとのことである。

「民主・社民・共産・公明・自民・無所属と無差別に登録していますから、どなたでも利用できると思います。
現役国会議員が中心ですが、一部の立候補予定者・浪人中の方・地方議員・県知事のブログも登録しています。」

だそうである。
大いに利用させていただこうと思う。
時間がいくらあっても足りない気がするのが少し不安だが・・・


■安倍がまた少し別の路線(タカ派路線であることに違いはないが)に暴走することを懸念する声もある。
重要な指摘なので全文引用する。

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〈「ブッシュ化」する安倍新首相の恐怖〉 【森田実のいわねばならぬ】
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/1044.html
投稿者 天木ファン 日時 2006 年 9 月 27 日 23:32:20: 2nLReFHhGZ7P6

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02932.HTMLより転載。

2006.9.26(その3)
森田実の言わねばならぬ[381]

『ニューズウィーク』(2006年9月27日号)のジェームズ・ワグナー副編集長が警告する〈「ブッシュ化」する安倍新首相の恐怖〉
「石を抱きて淵に入る」(韓詩外伝)

 『ニューズウィーク(日本版)』2006年9月27日号(日付の1週間前に発売)巻頭[This Week]の〈「ブッシュ化」する安倍新首相の恐怖〉ジェームズ・ワグナー副編集長の巻頭言を読まれた方は多いと思う。
 彼はこう述べている(長い引用をお許しいただきたい)。
 《安倍が総裁選に勝って首相に就任したら、その後はどうなるのか。彼のいらだたしいほどあいまいな言葉の真意は評論家も測りかねている。あらゆる選択肢を残しておけば、自らの挑発的な考えをごまかせるし、日中首脳会談を再開するチャンスも生まれる――そんな慎重な戦略なのかもしれない。
 あるいは、単に首相になってからのビジョンや使命があいまいで、問題が起きたらその場しのぎで対応するリーダーになるのかもしれない。これは現実的なやり方ではあるし、イデオロギーでがんじがらめになるよりはよっぽどいい。
 もっとも恐ろしいのは、安倍が「ブッシュ化」するという仮説だ。00年の大統領選でジョージ・W.ブッシュは「思いやりのある保守主義」を掲げ、外交面でも謙虚さが必要だと訴えた。
 ギリギリで民主党のゴア前副大統領に勝利したブッシュは、超党派的なコンセンサスを重視するだろうと多くの人が予想した。だが実際は、ネオコンが描いたイメージにアメリカ社会を変身させた。9.11テロ後、国民はブッシュが国を守るためだと言いさえすれば、何でも好きにやらせてしまった。
 北朝鮮の金正日総書記は、安倍にとってのウサマ・ビンラディンになるのか。日本国民は恐怖のあまり、国を変身させてしまうのか。

 われわれ日本国民は、このジェームズ・ワグナー副編集長の警告を、しっかりと聞かなければいけないと思う。何か悲劇的な事件が起き、マスコミがいっせいに騒ぎ出す。そのなかで、安倍首相が「敵は北朝鮮だ」あるいは「敵は中国だ」と叫び、マスコミがいっせいに「そうだ、そうだ」と大騒ぎするという事態は十分に起こりうることだ。マスコミは安倍内閣に、思うように操られる。石原慎太郎と知事も吠える。マスコミは戦争を煽る。
 そのとき、いまの日本国民は冷静に行動できるだろうか。無責任なマスコミに煽られて「戦え!」という方向に動かない、という保証は何もない。

 いまの日本の政治は、きわめて危ない状況にある。このことをジェームズ・ワグナー氏は警告しているのである。
 マスコミ内部に、良識ある人間はいないのか。マスコミが小泉首相の人気高揚に利用されてきたことについて、反省するマスコミ人はいないのか。安倍晋三首相を、2001年以後のブッシュにしてはならない。政治家にも覚悟が必要である。 


関連投稿:

安倍晋三が改憲を急ぐワケ(きっこの日記)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/813.html
投稿者 茶々 日時 2006 年 9 月 21 日

ジャパン・ハンドラーズと日本側受け皿人間(カウンターパート)の一大結集 : 森田実の言わねばならぬ[207]
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/819.html
投稿者 どっちだ 日時 2006 年 9 月 21 日
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安倍は日本と中国を戦争させる方法を研究する集会に出席していた!【きっこの日記 他】


という話もある。

戦争をさせないために一般庶民にできることは、
まず、真実を見極めること。マスコミの流す情報を信じ込まないこと。
政治家の意図を読むこと。
対立が煽られていたら、その対立によって誰が得をするかを考えること。
戦争により得をするのは軍需産業であり、また、株価やドル相場の乱高下により儲ける投機家である。
また、内政への不満(格差拡大など)のはけ口になることから悪政を行っている政府にとっては都合がよい。また、生活への不安があると、政治についてよく考える暇もなく、マスコミが流すイメージだけでどの国会議員、どの党に投票するかを決めてしまう。

また、心理的には、支配欲、蔑み、憎しみ、カネへの執着心を克服することが必要だと思う。
この四つの心理が、国家に戦争をさせることを許してしまう。
詳しくはこちら→http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10015928005.html

非「憎」三原則もお勧めしたい。
http://www.asyura2.com/0601/idletalk19/msg/579.html


■ついでに言っておくと、小沢なら安倍などと違って本気で格差是正をし、共生型の社会を作ってくれるかもしれないと私も期待しているものの、
今は、格差問題よりもより根源的な問題の発生を防ぐ方が重要だと私は思っている。

つまり、日本が右傾化し、教育基本法を始めとする
「世界人間牧場計画」
いいげるブログのいいげるさんの表現を採用してみた(^_^;) 
が進めば、格差を是正せよと声を挙げようにもそういうことをお上に対して言うだけの言論の自由も封じ込められてしまっているかもしれないと思うと、
今は格差云々よりも、共謀罪、教育基本法改悪、国民投票法案、憲法改悪に反対する方が重要だと思う次第である。

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安倍の「国民羊化計画」に向けた戦略を読む。

今日ネットを見ていて気になったこと、三つ。

一つは、安倍政権の人事にサプライズがなかったとされること。

(←安倍内閣発足!小泉流サプライズ人事なし…堅実な船出 [サンケイスポーツ]

二つ目は、安倍が記者会見を一日二回から一回に減らしたということ。

(←首相への直接取材「1日1回夕方に」=世耕補佐官提案、内閣記者会は抗議(時事通信)
安倍首相の直接取材「1日1回」を提案…記者会は抗議 ―「読売新聞」

三つ目は、新法相が、共謀罪の早期成立に意欲的と発言したというニュースだ。
(←【共謀罪】早期の成立に全力を挙げたい 長勢甚遠法相(毎日)


■一つ目の点から思うのは、安倍は、政治にサプライズという「おもしろみ」をなくすことによって国民の目を政治からそらす戦術をとる気ではないかということ。
小泉がやたらとサプライズを好み、国民の目を例えば「刺客」とかに惹きつけたこと、そして、やたらと一つの問題に焦点を絞り、郵政民営化のみが天下の問題であるかのごとく語り、国民の目を郵政のみにひきつけようとしたのに対し、
安倍は、政治問題全般から国民の目をそらそうと考えているのではないか。
例えば、今日のテレビ報道にしても、小泉劇場ならぬ安倍劇場がお目見えするのかと思いきや、丹波哲郎が死去したニュースで持ちきりだったように思う。
政治から国民の目を離し、国民の監視の目が小泉政権時以上に政治に向いていない間に、悪政のやり放題をする魂胆ではないだろうか。
マスゴミもひょっとするとそれを承知なのかもしれない。
つまり、安倍政権と電通・マスゴミとの共演である。

■二つ目の、記者会見一日一回へ、というのも、一つ目の点と少し重なるが、テレビへの露出減を狙ったものではないか。
小泉の場合はテレビに露出することで人気を得た。
しかし、安倍の場合は、あまりしゃべるとボロが出る(→安倍は「前言訂正/ウヤムヤ首相」になって自分でコケてくれるかも?!【マガ9】)ということもあるのだろうが、
あまりマスコミに露出せず、密かに売国的悪政を進め、権力強化を図る気なのではないだろうか。
政治権力強化のための法律と私が見ている主なものは、憲法改悪(国民投票法案の成立)、共謀罪、教育基本法改悪の三つである(国民投票法案と教育基本法については後述)。

また、記者会見を減らすことは、マスコミの安倍監視能力を低めることにもつながるだろう。もっとも小泉政権下でマスコミが政治権力を監視していたかというと、日刊ゲンダイや東京新聞(←新聞の任務は権力の監視【東京新聞社説】)など一部を除くと、そうとは到底言えないが。

世耕が提案したというのも気になる。
世耕と言えば、去年の9.11衆院選挙で小泉の「大勝」の影の功労者とされる人物であるhttp://plaza.rakuten.co.jp/kannon/diary/200511050001/参)。メディア戦略にたけた人物とされる。
いずれにせよ、何か思惑あっての「一日一回」戦略に違いない。

安倍とマスゴミの関係については、下記のような記事もある。

安倍新政権にメディア戦々恐々?【東京新聞特報】
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10017439237.html

この記事によると、
安倍は、「自分にとって都合の良い質問には答えるが、そうでない質問からは逃げる」と言われている。
また、小泉政権は「メディアを利用しようとした」が、安倍政権は「意に沿わないメディアに直接的に介入してくる恐れがある」との指摘もある。
取材からの排除や訴えられることが度重なると、報じる記者が社内で疎んじられかねない。NHK番組改変問題でも、取材した朝日新聞の記者や告発したNHK職員はその後、異動になった。メディア側の委縮はすでに始まっている」との指摘もある。

安倍とマスゴミの関係が小泉時とは違ったものになるであろうこと、そして、恐らくそれは、小泉時以上に悪化し、国民にとっても悪い方向に向かうであろうことが予測される。


■三つ目に気になったのは、新法相が、共謀罪の早期成立に意欲的と発言したというニュースだが、これはもう読んで字の如くだ。
平成の治安維持法との悪名高い共謀罪の成立、それも早期の成立にしょっぱなから意欲的とは、この長勢甚遠法相なるお人の見識を疑う。
(共謀罪については、http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10013131735.htmlのように何度か見解を述べているが、これについてはまた追々意見をまとめていきたいと思う。追々などと悠長なことは言っていられないだろうが。)


■で、先述の国民投票法案と教育基本法改悪についてだが、この二つは、共謀罪と並んで、権力強化、国民羊化計画の一端である

以前別の場所で記述したことだが、再掲する。

国民投票法案は、日本の軍事化と人権無視を促進する。
(http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10013265768.html)

私は国民投票法案に反対します。
民主党案にも与党案にも反対です。

理由は、一つは、憲法改悪への道を開くものであるから。
国民投票について法律を作ること自体が、憲法を変えることへの布石であるという問題もありますが、それだけではありません。社民党の辻元清美ブログ(http://www.kiyomi.gr.jp/blog/2006/05/31-989.htmlhttp://www.kiyomi.gr.jp/blog/2006/06/02-994.htmlなど)によると、法案自体に、改憲への道筋を作る条文が含まれており、単なる手続き法とは呼べない代物であるとのことです。

私は、国が右傾化し、アメリカの軍事政策に日本政府が(自分から進んで)巻き込まれていっている状態の中で憲法を変えようという動きが出ているということに大きな危機感を感じます。
この状態で国民投票が行われれば、日本の憲法の世界的目玉である九条も改悪されてしまうでしょう。

また、表現の自由、思想・良心の自由、信教の自由などの基本的人権を侵害するような政権側・司法の動きが活発化している今の日本(例:共謀罪、板橋高校事件、教育基本法案の愛国心と宗教教育の問題)で、憲法を変えるとなれば、基本的人権を今以上に制限する方向に変えられてしまうであろうことは目に見えています。


私が国民投票法案に反対するもう一つの理由は、法案そのものに、国民の権利を阻害するような問題点が多々含まれているからです。

国民投票の方法として与党や民主党が出してきている案には、

ⅰ)憲法改正に関する国民の言論・表現活動を不必要に萎縮させる効果を持つ条文が含まれていること、
ⅱ)国民投票が有効に成立するための最低投票率に関する規定を設けておらず、投票率の高低に関わらず国民(投票権者)総数からみた一部の者のみの賛成で憲法改正が可能となってしまうこと、
ⅲ)国民投票無効訴訟を行う権利が著しく制限されていること、

といった問題点があります。(参考:<国民投票法案>憲法改正に関する国民の言論・表現活動を不必要に萎縮させるなど問題点多数。

(ⅰ)について。
国民の言論・表現活動を萎縮させた状態では、流される情報は大半が時の政権寄りのものになります。
政権側には圧倒的な資金力がありますから、情報操作をすることなどお手のものです。
そうやって偏った情報がガンガン流され続けると、国民は正しい判断をすることを妨げられます。
これは去年の9.11選挙で実証済みです。
特に、映像メディアの発達した現代においては、イメージ戦略が物を言うと思いますが、国民受けするようなイメージ作りも、資金力がある政権側の方が容易にできます。
また、政権側とは異なった意見に接する機会を奪うという意味でも、国民の知る権利を大きく損じるものであると思います。
政権寄りの偏った情報が圧倒的である中で国民投票が行われれば、憲法が、時の政権もしくは権力者一般にとって都合がよく、主権を持つ国民の権利・自由が著しく制限されるようなものに作り変えられてしまうであろうことは容易に想像できます。

(ⅱ)は、憲法という国の根本を決める法律を変えるための要件としては与党や民主党の案は緩すぎるという問題です。
特に、「憲法改正案に積極的に賛成しない意思の表明と考えられる白票=棄権を無効票として扱う与党案は妥当でない」(第二東京弁護士会会長)と私も思います。

(ⅰ)、(ⅱ)のような問題点を残したままで国民投票が行われれば、当然、国民投票無効訴訟を起こそうとする動きが出るでしょう。

しかし、(ⅲ)は、その道さえ閉ざそうとするものです。
第二東京弁護士会会長によると、通常の行政事件取消訴訟ですら出訴期間が6か月あるのに、与党案、民主党案は、国民投票に関し異議がある投票人が訴訟を提起できる期間を、国民投票の結果の告示の日から30日以内としている。
しかも、一審の管轄裁判所を東京高等裁判所に限定している、とのことです。
出訴期間が短いことは出訴を難しくしますし、東京高等裁判所に限定することは、東京近辺に住んでいない国民の権利を害するものであると言えるでしょう。

このように、今国会に提出されている国民投票法案は、あらゆる面で国民の権利を害するものであると言えます。


私は、日本の右傾化・軍事化と、権力による国民の基本的人権の無視を促進するような国民投票法案を拙速に成立させてしまうことには反対です。


≪阿修羅内関連投稿≫
「権力の側は、国民を規制する役割を憲法に求め始めている。このままでは明治憲法に戻ってしまう。」(小林節氏)
http://www.asyura2.com/0601/idletalk18/msg/217.html

国民投票法案が審議入り(瀬戸智子の枕草子)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/734.html

一日の国民投票法案の審議;自民党の新憲法草案は近代憲法の原理を逸脱している(辻元清美ブログ)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/736.html

「警察が、『先生、なんて言っていた?』と小学生から意見聴取するというのか。」(辻元清美ブログ)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/737.html

「これは国民投票法という名の、改憲準備法」(辻元清美ブログ)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/738.html

1日の本会議「法案の構成そのものが、国民投票法とは改憲を行うための法律であるということを如実に物語って」いる(辻元清美)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/755.html

<国民投票法案>議席数に応じてパンフレットの割り当てを決めるなど広報に関する乱暴な意見が委員会で出ている(辻元清美ブログ
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/759.html

<国民投票法案>憲法改正に関する国民の言論・表現活動を不必要に萎縮させるなど問題点多数。(第二東京弁護士会会長声明)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo22/msg/807.html


■教育基本法改悪については、私は共謀罪と同じ効果をもたらすと見ている。

八月時点では、

臨時国会 共謀罪成立は見送り 政府・与党、教育基本法改正を優先―「北海道新聞」

といった報道がなされていた。
新法相が共謀罪の早期成立に意欲を示したとのことだから、八月に上記のような報道があったからといって共謀罪についても全く油断はできないのだが、
仮に今回の臨時国会で共謀罪について審議されず、安倍の本星とされる教育基本法改悪に審議が集中したとしても、
共謀罪に反対する立場の者ならば教育基本法改悪についても同じように厳しく弾劾していかなければならない。

理由は下記のとおりである。
上記記事に対し書いたことを、ここに再掲する。

効果は共謀罪と同じ!奴らの戦略にだまされるな!
(http://www.asyura2.com/0601/senkyo25/msg/587.html)

教育基本法の改悪を許せば、日本は徐々に蝕まれていく。

改悪された基本法下で、国に対する服従心
(愛国心とはそういうことだし、改悪案の精神自体も、国に対する絶対的服従を要求するもの。)
を植え付けられて育った者が日本を徐々に覆っていくことになる
のはもちろんのことだが、
それと同じくらい、もしくはそれ以上に恐ろしいことがある。

親や教師も、教育基本法の精神に反するような言動をすれば、
「教育上よくない」などとの有形無形の圧迫を政府や教育委員会、そして周りの人たちから受けることになる
ということだ。

結局、国民は、国(時の政府)に対する絶対的服従を強いられることになる。
国に対する批判的言説は封じられていく。

効果は共謀罪と同じということだ。
安倍らの戦略にだまされてはならない。

教育基本法改悪は絶対に許してはならない。

■親や教師も、教育基本法の精神に反するような言動をすれば、「教育上よくない」などとの有形無形の圧迫を政府や教育委員会、そして周りの人たちから受けることになる

については、日の丸・君が代問題と共通するものを感じる。
日頃権力に対しうるさい人でさえ、日の丸・君が代問題になると、教育上よくない、といった意見を持ち出す。
問題はやはり同根だと思う。

実際、今回日の丸・君が代問題で注目されている東京都の教育現場の実態は、安倍の「教育改革」を先取りするものだとの見方もある。
(←物言えぬ教育現場;安倍の「教育改革」を先取りする東京都の実態【東京新聞】

すべては、権力の拡大、そして、国民の自由を奪う方向につながるものである。

こうした一連の動きが国民のためを思っての行動でないことは明らかである。
国民のためにならない愛国心など、愛国心とは言えない。
安倍はエセ愛国者である。
あるいは、やはり愛国の「国」とは国家権力であると見るほかあるまい。

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2006年9月26日 (火)

日の丸問題は戦時体制を許すか否かの問題である

日の丸問題は、将来の日本国民を日本国家カルト集団に育て上げ、戦死させたいか否かという問題。


今、学校で、行事の際に、国旗を掲揚すること、そして、その際、生徒や教師が起立することが、強制されようとしている。

学校という場には、普通、日本人しかいない(在日外国人についてはここではおく)。
そういう場で、日の丸を掲揚し、それに対し起立して敬意を表するということに、一体何の意味があるのだろうか。どのような効果があるのだろうか。


一つ考えられるのは、
国旗への敬意を子供の頃から養っておくことで、戦争に突入するという時に国旗を悠然とたなびかせ、何か神聖なもののために戦うような気にならせる効果が得られるということである。
つまり、自国が行う戦争を神聖化・正当化することと、戦意高揚に役立つということである。


二つ目に、国への帰属意識を高める効果が考えられる。

どんな旗でも帰属意識を高める効果を持つと思う。
例えば、運動会の時に、赤組と白組に分かれる。
生徒たちがそれぞれ白旗とか赤旗とかを持つということはなくても、白い鉢巻、赤い鉢巻をしたりする。そういう行為によって、自分は白組だとか、赤組だといった意識が生じる。
白組と赤組で競い合うともなれば、否応なしにそういう意識が高まる。ほとんどの人は(私もだが)自分がかわいい。だから、自分の属する組に勝ってほしいと思う。競争意識が芽生える。

これがただの運動会での色分けならいい。

しかし、国旗となると話は違ってくる。

国旗はその国を象徴するものであるから、自国への帰属意識が高まる。
戦争突入時や戦時のように他国の存在を意識する時には、その国への競争意識が高まる。自国の国旗への尊敬のあまり、国粋主義に陥り、他国を蔑視したり、憎むことにもつながるだろう。やはり戦意高揚に役立つということである。


三つ目に考えられるのは、排他的意識を植え付ける効果だ。

ある集団が存在する場合、その集団の外には必ず集団に属しない者がいる。

一番大きな人の集団は地球人かもしれないが、地球人という集団を考える時、そこには必ず地球人以外の宇宙人の存在が意識される。
つまり、集団は集団外の存在を前提とした概念である。
日の丸を掲げている集団と掲げていない者がいるとする。
日の丸を掲げている集団からすれば、掲げていない者は自分の集団に属さない者であり、異端者である。
日の丸を掲げている集団が日の丸の前に起立するとすると、起立しない者は集団に属さない異端者である。
日の丸は日本国の象徴であるとされる。
したがって、日の丸を掲げず、日の丸の前で起立しない者は、日本国民ではない、非国民だ、という論理が生まれる。

あらゆる集団は、集団である限り、排他的である。
日の丸集団も、集団に属さない者に対し排他的なのである。
したがって、日の丸という日本国の象徴に敬意を表しない日本人は、日本国の集団に属さない者として異端視され、非国民呼ばわりされる。
日本人以外の民族ともなれば、日の丸集団から見れば異性人のようなものだろう。

レッテル貼りも起こるだろう。日の丸への敬意の有無が、一種の踏絵となる。
戦争に反対する者に、神聖な国旗を侮辱している不敬な者であり、非国民であるというレッテルを貼る

国旗掲揚の時に起立しない者については、平時である今でさえ、不敬だとか、そんなに日本が嫌いなら日本から出て行け、という意見が出てくるくらいだから、戦争という殺気立った状況下ではどうなるか、想像がつくというものである。


以上をまとめると、要は、日の丸を掲揚し、それに対し起立して敬意を表するという行為は、戦争に反対できにくい国民作り、戦争に抵抗の少ない国民作りにつながるということである。戦争のできる「普通の国」を作ることへの道の一つなのである。

これのどこが教育だろうか。
日の丸に対し起立しない教師のどこが、教師として「なっていない」のだろうか。


国旗への敬意を強制したことが思想・良心の自由への侵害に値するのは当然であり、今回の地裁の違憲判決は当然の判決だ。
しかし、強制したことがいけなかった、というだけで終わっては、国旗そのものの持つ、集団性、排他性といった危険な性質を見逃すことになるのではないか。

繰り返すが、決して、教師の躾がなっていない、という問題ではないのである。


日本の国民であることは、日本人が自分の心の中で認識していれば済むことであって、国旗を掲げてみたり、それに対して敬意を表してみたりしなければ認識できないことではない。
愛国心にしてもそうである。ことさら外に向かって発露しなければならないものではない。
愛などはもともと自然と湧き出てくる感情を指すのであって、強制されるものではないし、人から評価されるべきものでもない。
日本という国が愛せるような国であれば、自然と愛する。そういうものであろう

何かのシンボルを掲げること、何かのシンボルに敬意を払うこと、その他何らかの形で表現することをもって日本国民の印とするのなら、それは踏絵だ

そのような形で国旗を使うのなら、国旗などない方がマシだ。

国旗の掲揚と起立にことさらこだわる東京都や政府や読売などのマスゴミには、日本国民を日本国家カルト集団に仕立て上げ、日本を戦争のできる「普通の国」にしたいとの思惑があるとみて間違いない。

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国旗というのは、それを持つもの、それを掲揚する者に呪縛をかけるものではないか

国旗を掲揚したり、国旗を手に持つことには、その国の国民であるという意識を高め、国民を団結させ、連帯意識を高めさせるという効用があると思う。

一般的に、日本に住んでいる日本国籍をもつ人ならば、周りにいる日本人が自分と同じ日本人であることを、人に言われなくてもわかっているし、同じ日本人だ、という意識をもっている(在日外国人についてはここではおく)。つまり、連帯意識と呼べる意識は、国旗の有無に関わらず、最初から存在する。
この自然な認識以上の認識が果たして必要だろうか?

私は必要だとは思わない。

私からすれば、日本人が集っている場で日の丸を振るとか、日の丸を掲揚するという行為自体、そんなに日本人であることを日本人同士で互いに誇示してどうするの?という感じである。

他国との関わりがないところでは、一国のシンボルなど、不要である。

なくても、同じ日本人であることはわかっているからだ。


では、他国との関わりのある場ではどうだろう。
国際会議の場で、各国の国旗がはためいている場合がある。
その場合の国旗の意味は何だろうか。
私は、各国政府代表が国益のために行動していることを示すものだと思う。
つまり、国旗が象徴するのは、この場合、国益であるといっていいと思う。
国益と言っても、国民の利益であるとは限らない。
日米安保条約という「国益のため」とされるもののせいで国民の中には基地問題を抱えて苦しんでいる人だっているのである。あるいは、原子力発電も国益のためとされるが、今後放射能で国土や国民の人体が汚染されても国益のためと言っていられるのかどうか。国益などというのは国民の利益と決して合致しないのである。


一方、政治とは関係のない場で、外国人と仲良く話す時、自国の国旗を各自が手に持っている風景を想像してもらいたい。
おぞましいと思うのは私だけだろうか。
自分が何人であるというアイデンティティを捨て去れなどと言うつもりは全くない。
だが、人間として、外国人と話す場合には、自分が何人であるということから離れるべき時もある。お互いの国のことを話す場合であっても、客観的に自国を見つめたい場合には、国旗など手に持っていたら邪魔なだけである。
国旗というのは、それを持つもの、それを掲揚する者に呪縛をかけるものではないか、と私は思う。
その国から離れられない。
その国のために行動しなければならない。
そういう暗示をかけるもののような気がする

つまり、国旗というものは、その国の国民であるということを意識させることから国民を象徴しているかのようにも思えてくるが、そうではなく、
何か国民の外にあるものを象徴しているのではないかと思う。
恐らくそれは国家というものである。
いわゆる「お国のため」の「お国」ではないか。

国旗が国民の外にあるものを象徴しているということの根拠の一つとして挙げられるのは、国旗に対し起立し、敬意を表する、という行動の存在である。それが常識的な儀礼であるとの見方もある。

もし国旗が国民を象徴しているのだとしたら、その同じ国民が国民に対し敬意を表するという行動は理解しがたい。自分で自分に対し敬意を表しているかのようだ。
それとも、国民の一人が、国民の全体に対して敬意を表する、という行為であり、当たり前なのだろうか?しかしもしそうとしても、全体主義的ではないだろうか。

やはり、国旗は国家を象徴していると思う。
とすると、国旗に向かって起立し、敬意を表するということはすなわち、国家に対し敬意を表するということである。
国家とは、統治の主体である。民主主義社会においては国民の代表とされているが、必ずしも国民の望むような政治は行わない。国民の総意に基づいて行動する存在でもない。国家はあくまでも国民の対概念であり、国民と同義ではない。

どういう時に国旗が振られるかを考えてみてほしい。

天皇がお目見えする時。
小泉が「行幸」する時(去年の9.11選挙時の風景)。
小泉が靖国に参拝した時。
である。
あるいは、戦争中、兵隊さんが出征する時である。
世界的なスポーツイベントの時に振られることもある。

つまり、何らかの国家的権威がそこにある時。
あるいは、戦意高揚のために、国旗が用いられる
、ということである。


スポーツの場合は単に自国チームを応援したいだけと言えるかもしれないが、一歩間違うとナショナリズムの嵐を生むと思う。
戦争の場合とはまた違った「戦意」の高揚のつもりが、戦争になってしまうということも
、可能性としては捨てきれない。実際、「1969年にはサッカーの試合からエルサルバドルとホンジュラスの中米二国間の本格的戦争にまで発展した」(http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg0111-3.htm;第2章第4節)ということもあったそうである。
「ナショナリズムとは本質的に連帯感をもって動員をはかるための手段として求められてきたのである。とすれば、日の丸・君が代を『軽く』捉えるとか『自発的』であるということは程度の問題であり、やはりサッカーを通じて『日本人』としての連帯感を現代の若者が求めているという現象に対しては注意を向けるべきであろう。」(同上、第3章より)
という指摘もある。
特に「ナショナリズムとは本質的に連帯感をもって動員をはかるための手段として求められてきた」との記述は、スポーツから離れて考えても注目に値する。
「連帯」がキーワードだ。


つまり、国旗に対し起立するなどして敬意を表するということは、国家的権威に対する忠誠を誓い、その国の国民としての連帯意識を高め、戦争に備えるという行為に限りなく近いのではないかと私は思うのである。

今は、平時であるから、そうは見えないかもしれない。

たかが国旗で戦争まで、と思われるかもしれない。

しかし、戦争が近づけば、国旗は間違いなく、戦意高揚のために使われるだろう

国旗に対し敬意を表しない者は、非国民呼ばわりされるだろう。

戦争に対し異議を唱えることも、許されない雰囲気ができてしまっているだろう。

なにせ、神聖なる国旗のもとに戦うのである。

その国旗に対し異議を唱えることは、「神聖にして侵すべからざる」日本国家への冒涜行為とみなされても仕方がないのだ。

日の丸問題は、そういう状況を許すか許さないかという問題なのである

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小泉政権はマスゴミを抱き込んで日本社会をズタズタにした。小泉政治を継承するという安倍はさらに日本をズタズタにするのだろうか。

◆下記は、
自民党 総裁選の風景 軍歌酒場の“安倍親衛隊”
という記事を見て書いたものである。9月11日に阿修羅と私のアメーバブログに書いたものであるが、今日の安倍内閣発足について、危惧を示す意味で、再掲する。
=============================================================
伝統とか国家の品格の名のもとに軍歌が歌われるとは・・・。
教育基本法改正案の中に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する・・・態度を養うこと。」との文言があるようだが(http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu0604.html参)、
ここで言う「文化」とか「我が国」が何を指すかが窺い知れるというものだ。

また、記事によると、稲田朋美衆院議員は、
「誰もできなかったことに安倍官房長官は挑戦しようとされているのです」
と言ったそうだが、何でもかんでも未知のことに挑戦すればいいというものではない。古いもの、今あるものをぶっ壊せばいいというものではない。

小泉フィーバーやホリエモン・フィーバーでも、こうした、ぶっ壊し屋、「挑戦」屋を歓迎する風潮が見られた。そして、今でもその風潮は根強く残っている。

しかし、ぶっ壊されて残ったものは何か?

小泉構造改革なるものにより、格差は広がり、地域はさびれ、商店街はシャッター通りと化した。
私の地元の駅前でも、昔なじみのお店はもうほとんど残っていない。
代わりに繁盛しているのは、地元色など全くない、郊外の大型店だ。全国どこでも同一サービスを展開しているような店である。
日本全国がマクドナルド化して何が嬉しいのか、私にはわからない。

ホリエモン逮捕でいったんは静まるかと思われたホリエモン熱も、まだ冷めてはいないらしい。堀江被告に同情する声がまだ聞かれる。
堀江被告本人も、悪いことをしたという自覚はなさそうだ。
そうした堀江被告の開き直りを糾弾する声もマスコミからはあまり聞こえてこない。
マスコミが関心があるのは堀江被告がスーツ姿かどうかとかネクタイの色のことらしいから無理もないか。
ホリエモンは、小泉同様、日本人の道徳心を壊した。拝金主義で何が悪い、という考え方が公然とまかり通るようにしたのだ。

安倍政権になったら、今度は何が壊されるのだろう。
平和主義と、異論に対する寛容な態度、だろうか。
すでに、壊されつつあるようだが・・・

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◆小泉政権の約五年半が何だったかについては、
下記の東京新聞の記事が簡潔にまとめている。
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9月24日(日)付け 東京新聞 筆洗
(http://www.tokyo-np.co.jp/00/hissen/20060924/col_____hissen__000.shtml)
テレビから吉田拓郎さんの曲が流れている。静岡・掛川のつま恋…

 テレビから吉田拓郎さんの曲が流れている。
静岡・掛川のつま恋での屋外コンサートの生中継。
「ちょいとマッチを擦りゃあ/燃えてしまいそうな/そんな頼りない/世の中さ…」。
「ひらひら」という曲の歌詞が、心に響く

▼拓郎六十歳。
観客も団塊世代や中年が中心だが、青春時代の郷愁に浸るだけではないだろう。
みんな前に進むためのエネルギーを欲しているはずだ。
言い知れぬ不安感の中で生きているのだから

▼小泉政権の約五年半はみんな大変だった。
経済の立て直しのため企業の淘汰(とうた)やリストラが加速し、規制緩和も積極的に行われた。
競争主義、市場原理重視の政策だが弱肉強食のすすめでもある

持てる者と持たざる者の格差は拡大した。
貯蓄なしと生活保護の世帯数はともに上昇カーブを描いている。
労働者の三人に一人は派遣社員やパートという非正社員の時代になった。
リストラにあって不本意ながらフリーターで生活を維持している人も少なくない

自己責任を問われるようにもなった。
イラクでの日本人人質事件が転換点だった気がする。
「助けて」と言いにくい空気がこの国を覆っている。
安全や人命より利益や効率を優先させることを「よし」とする土壌で起きたとしか思えない事件・事故も続いている。
「思いやり」や「助け合い」のない世の中
はやはり「頼りない」

▼「ありがとう/支えてくれて/ありがとう/激励/協力/只々(ただただ)感謝」。
小泉首相が二十六日の退陣を前に「現在の心境を託した」短歌。
あっけらかんとしていて、こちらは心に響かない。

================================================================
◆小泉が壊したものとして、相互扶助の精神を挙げた人もいる。

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小泉首相が壊したもの。
http://www.asyura2.com/0601/idletalk18/msg/210.html
投稿者 染川瀝青 日時 2006 年 6 月 01 日 18:33:58: OrTq7AIvkoYi.

(回答先: 自民党をぶっ壊すと言った小泉首相ですが、、、 投稿者 haru 日時 2006 年 5 月 30 日 20:43:36)

首相は何かとお忙しいと思うのでセンエツながら小生が代りに・・・

小泉首相が壊したものは何かというと、小生の思うにそのいちばん大きいのは、相互扶助の精神。

はるか百年以上昔の話で恐縮ですが。

---以下引用---

1886年来日したイタリア海軍中佐ヴィットリオ・アルミニオンも、「下層の人々が日本ほど満足そうにしている国はほかにはない」と感じた一人だが、彼が「日本人の暮らしでは、貧困が暗く悲惨な形であらわになることはあまりない。人々は親切で、進んで人を助けるから、飢えに苦しむのは、どんな階層にも属さず、名も知れず、世間の同情にも値しないような人間だけである」と記しているのは留意に値する。つまり彼は、江戸時代の庶民の生活を満ち足りたものにしているのは、ある共同体に所属することによってもたらされる相互扶助であると言っているのだ。

---引用終り---

(渡辺京二氏『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)154頁。ジャック・どんどんさん御紹介の本であります。感謝。)

百年以上かけて徐々に壊れてきた相互扶助の精神ですが、それでも結構残ってたように思います。

とにかく米国はそれを邪魔だと思ったんでしょう。というよりもその相互扶助をもたらす(米国の言うところの閉鎖的な)共同体が邪魔。

市場原理主義による競争社会というのは、司法制度改革で訴訟社会にすることもですが、「相互扶助」の否定です。他人を敵と考えよ、ということ。

他人を敵と考えずに一緒に何かやろうとしたら、これは日本政府の自主的(笑)な法案のようですが、共謀罪とくる。何が何でも個人個人をバラバラにしたいみたいですね。共謀罪は今国会では今のところどうなるのかわかりませんが。

「自己責任」という言葉も「相互扶助」のほとんど反対語だし。違うのかしら。

相互扶助を極端にやったら馴れ合いになるような気もしますが、馴れ合いはいかん、談合もいかん、ということで、ついでにというかここぞチャンスとばかりにというか、相互扶助そのものまで否定してしまうわけで。

ふむ。

今の政府の連中もよほどシモジモの助け合いが気に食わんと見える。確かに上の引用文でいう「下層の人々」ではありませんな。小泉氏以下次期総裁候補とされる安倍福田麻生谷垣氏にいたるまですべて世襲政治家の方々である。

結果の平等はけしからん、機会を平等にしてその上で競争せよ、というて、あんたら貧乏人のこせがれと機会が平等か?

あほらしやの鐘が鳴っております。

===============================================================
◆小泉政権が殺伐とした社会を生み出した、との日刊ゲンダイの記事もある。

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日刊ゲンダイ  2006年8月19日
(http://www.asyura2.com/0601/senkyo25/msg/512.html)

小泉デタラメ政権5年間の末期に噴出しているペテン首相のメチャクチャ政治がもたらした殺伐とした社会の現状実情

連日、不快で凶悪な事件が続発し貧富の差が拡大し金がすべての世相の中で、平和憲法を否定するナショナリズムが幅を利かせる全く嫌な国に様変わりしている


内政では庶民生活を圧迫し痛みを強要、外交では四面楚歌。その結末は、財政は破綻し国民は少数の大金持ちと大多数の貧者に二分され、いずれはいつか来た道をたどることになる

この国は本当にイヤな殺伐とした国になってしまった。
小泉の8・15靖国参拝を批判していた加藤紘一の実家が、右翼の焼き打ちにあった。犯人とみられる東京都内に住む右翼団体の幹部(65)は、前日から入念に下見したうえで、1階に油をまいて火をつけた可能性が高い。現場からは刃渡り26センチの包丁も見つかっている。
加藤紘一の事務所には、一般の国民からも脅迫や嫌がらせの電話が殺到しているという。カッタ―の刃が送りつけられ、「お前は中国の手先か」「次は爆弾だ」という電話もあった。しかも、その多くは匿名で、名前も名乗らない卑劣さだ。
「加藤紘一は決して過激な発言はしていません。『首相は靖国に行くべきではなかった』『アジア外交は崩壊に近い結果になった』と冷静に論じていただけです。それでも脅迫や抗議が殺到するのは、いかに日本社会が右傾化しているか、『頭にきたからやっちまえ』という問答無用の空気が蔓延しているかの裏返しです。ここ数年間で日本社会から寛容さが消えてしまった。ちょっとでも気に入らないことが起こると過剰に反応する。加藤紘一が『ここ数年、自由にモノが言えない雰囲気になった。とくに外交、歴史問題を話すときはプレッシャ―がある』と吐露したのは実感でしょう。日本は、言いたいことも自由に言えない社会になり始めています」(立正大教授・金子勝氏=憲法)
恐ろしいのは、大新聞・テレビが今回の放火を深刻に受け止めていないことだ。どこか、仕方がないと受け入れているフシがある。

□意図的にナショナリズムを煽った小泉
なぜ日本はこんな国になってしまったのか?答えははっきりしている。すべて小泉デタラメ政治のせいだ。
ここまで日本人が攻撃的になったのは、小泉が「競争、競争」の世知辛い世の中に日本をつくり変えてしまったからだ。しかも、大多数の国民は「負け組」に転落してしまったか、この先、転落する不安を感じて暮らしている。これじゃ、社会全体がギスギスし、急速に右傾化しても不思議はない。
「最近は若者まで『英霊に手を合わせるのは当然』と靖国を参拝し、平和憲法を否定して『中国、韓国、何するものぞ』といった過激な発言がもてはやされている。小泉がこの5年間で日本を、努力しても報われない絶望的な社会にしてしまったからです。将来に希望を持てず、イラ立ちを強めた国民が、ナショナリズムに向かうことは、よくあること。しかも小泉は、周囲の反対を押し切って靖国参拝を強行するなど、自らの失政から国民の目をそらすため、意図的に偏狭なナショナリズムをあおっています。首相の態度が、国民のナショナリズムに火をつけたのは間違いありません」(九大名誉教授・斉藤文男氏=憲法) 
郵政反対派を次々と切り捨てていった首相の政治姿勢が、日本の社会に「問答無用」の風潮をもたらした面もある。

□亀田親子がもてはやされる「負け組」社会
秋田男児殺害や大阪連続監禁など、連日、ワイドショ―を賑わせる凶悪な犯罪が続発しているのも、小泉デタラメ政治が原因だ。
帝京大教授の降旗節雄氏(経済学)は「市場主義の競争社会は、〝セ―フティネット〟があって初めて機能します」と言う。それなのに小泉政権は競争だけをあおり、社会保障はどんどん削っていっている
ここまで「社会の二極化」「貧富の格差」が広がれば、「負け組」はまじめに働くのがバカらしくなってくる。汗水たらして働いても年収200万円以下の世帯が1割もいるのだ。その一方で、「稼ぐが勝ち」の拝金主義がはびこり、日銀総裁が裏でボロ儲けしているのだから、ヒドイ話だ。
「自暴自棄になって犯罪に走るおかしな連中が増えたのも、自然の成り行きです。口の利き方も知らないような亀田親子が支持されるのも、根っこはよく似ている。大勢の負け組が『ル―ルなんて知らねえよ』『勝てばそれでいいんだろ』と開き直ってウサを晴らしているわけです」(著述家・池内ひろ美氏)
安倍は「美しい国へ」なんて新著を出したが、目を覆いたくなるような「醜い国」というのが現実だ。

□安倍政権で日本は一気に右傾化が加速
このまま社会全体が右傾化し、殺伐とした世相が進んだら、日本はどうなるのか。
戦前の外相でA級戦犯として獄死した東郷茂徳を祖父に持つ、元外務省局長の東郷和彦氏が、日本の右傾化をみて、第2次世界大戦前夜の空気に似ている、と警告を発している。
国家は財政危機に直面し、外交は四面楚歌、国民は貧富の差が拡大・・・・・・。今の日本の状況は、戦争に突入した時とソックリです。この国はどちらへ転ぶか、分岐点に立たされているといっていい。最大の懸念は、次期首相に安倍晋三が確実視されていることです。安倍晋三は小泉以上のタカ派政治家。とくにアジア諸国に対する強硬姿勢は相当です。ただでさえ、国民の右傾化が進んでいるだけに、一気に愛国心をあおり立てる恐れがある。そうなったら日本は再び破滅の道です」(金子勝氏=前出)
小泉のような男に5年間も首相をやらせた結果、日本はとんでもないことになってしまった。
===========================================================
◆上記の日刊ゲンダイの記事を読んで私が以前書いた感想を再掲する。

メディアの責任も大きい。メディアが小泉の「問答無用」のやり方をもてはやしたのだから。

>郵政反対派を次々と切り捨てていった首相の政治姿勢が、日本の社会に「問答無用」の風潮をもたらした面もある。

日刊ゲンダイは違うが、他の大マスコミは、皆こぞって、小泉が作り出した「抵抗勢力」という言葉に乗り、小泉をほめそやした。
郵政反対派を次々と切り捨てた小泉のやり方を正面切って批判した大マスコミがあったか。
あったら教えてほしい。

それを、今ごろになって、大新聞は、
小泉が靖国参拝反対論者にレッテルを貼り付けたことを怒ってみたり、
加藤氏の実家への放火事件を受けて、言論の萎縮を心配する、とか言い出している。
権力を監視しなければ、というようなことまで言い出している。

まともなことを言っているとは思うし、いいことを言っている場合は記事を阿修羅で紹介するなどして「褒める」、といったことも、必要だとは思う。

だが、彼らの弁には、今更という気が強くしてしまう。

メディアがちゃんと小泉を監視せず、小泉劇場を作り出してきたから日本はここまで酷くなったのではないか。

今頃になって反省しても遅い。
それに、安倍のことを持ち上げる姿勢だって変えていないではないか。
口先だけとはこのことだ。

本当に反省しているのなら、小泉の悪政を正面から批判し、安倍の本性を暴くことだ。
そして、共謀罪にもしっかり反対する。

でなければ、大マスコミは権力監視機能も、言論者としての責任も、果たしているとは言えない。


それから、毎日新聞の社説( http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/archive/news/2006/08/20060816ddm005070151000c.html )によると小泉は
「私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ」とも言っているそうだが、
これは逆に言うと、他人が不快に思うことをやって何が悪い、ということだ。
他人が不快に思うことをやらないのは人間として基本ではないのか?
こんなところも、突付こうと思えばいくらでも突付けるのに、突付いているメディアの論調を聞いたことがない。

こんな小泉の暴言を無批判に垂れ流すから、日本は乱れに乱れるのだ。

メディアは、まずは自分たちが権力者の土俵に乗って権力者の言うことを無批判に垂れ流してきたこと、そして、今の日本の風潮を作り出してきた責任を認め、反省すべきではないか。
でなければ「ジャーナリスト宣言」(朝日新聞)が死ぬというものだ。

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≪参考≫

□朝日新聞社説 2006年08月16日(水曜日)付 「靖国参拝 耳をふさぎ、目を閉ざし」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060816.html
(前略)
首相の目には、日本国内にある反対の広がりが見えないのだろうか。

 朝日新聞の7月の世論調査では、参拝反対が57%で、賛成の2倍に達した。新聞も大半の全国紙、地方紙が反対の立場だ。自民党内ですら、歴代首相ら重鎮の多くをはじめ、反対論や慎重論を唱える人は少なくない。連立パートナーの公明党は明確に反対している。

 首相は、こうした声をすべて中国や韓国に媚(こ)びる勢力とでも言うつもりなのだろうか。「いつも批判する勢力」と切り捨てようというのか。
(以下略)

□朝日新聞社説 2006年08月17日(木曜日)付 「加藤氏宅放火 政治テロを許さない」
http://www.asahi.com/paper/editorial20060817.html
(略)
政治家は国民に選ばれ、国民の代表として活動をする。その自由な発言が暴力で封じられれば、民主的な社会は成り立たない。

 自分が気に入らないからといって、暴力に訴える。そんな卑劣な行為は断じて許すことができない。
(略)
大事なことは、政治家や経済人、言論人が今回のような事件にひるまず、語るべきことをきちんと口にすることだ。

 戦前、首相をはじめ政治家が次々にテロに倒れ、政党政治がつぶされていった。そうした暗い時代を二度と繰り返さないためにも、テロを追いつめ、許さないことが大切だ。

□朝日新聞社説 2006年08月19日(土曜日)付 「戦争とメディア 競って責任を問うた夏」
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
(前略)
メディアが権力を監視し批判する使命を放棄したらどうなるか。この重い教訓を忘れないようにしたい。


□毎日新聞社説 2006年8月18日 「加藤議員宅放火 言論封じる風潮を憂う」
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20060818ddm005070113000c.html
(略)
憂うべきは、言論への批判を恐れる人々が、萎縮(いしゅく)して沈黙する現状ではないだろうか。苛烈(かれつ)で容赦のないバッシングが目立つ折、過敏なまでに警戒心を強めているのだろう。孤立するのを避けようと少数派と自覚した人が発言を控えるため、結果的に多数派がことさら幅を利かせる「沈黙のらせん」と呼ばれる現象が進んでいるのかもしれない。いつの間にか言論の自由が狭められており、戦前に逆戻りしかねないようにさえ映る。
 この間、加藤議員の発言が際立ったのも、他の参拝批判派の国会議員らが口をつぐんでいたのが一因だ。事件後、右翼陣営から「文化人らが過激な言辞を競い合うため、右翼は体を張るしかないと思い詰めている」といった声が出たことも、尋常ならざるムードの広がりを感じさせる。過失事故の責任者らに一方的な批判を浴びせたり、凶悪犯への厳刑をヒステリックに求める論調と通底するものがあるのかもしれない。一部メディアの報道姿勢や、匿名の無責任な意見をも拡散させるインターネットの影響も見逃せない。

 首相参拝の評価についての本社世論調査でも明らかなように、靖国問題は国を二分する重大テーマだ。本来、国論をまとめるべき立場の小泉首相が、テレビカメラに向かって反対勢力の存在を強調し、敵味方に分けて発言したことも危惧(きぐ)せざるを得ない。国会で繰り返し説明すべきを怠り、このまま退陣するのでは言いっぱなしとなる。国のリーダーの言葉の重みが、視聴者に与える影響も考慮してほしかった。

 振り返れば、政治家のスキャンダルを暴かれたくないと政府が先導し、個人情報保護法などを通じてメディア規制を画策しだしてから、言論を取り巻く環境が危うくなっている。改めて指摘するまでもなく、少数意見を尊重し、どこまでも話し合いで解決を目指すのが民主主義の要諦(ようてい)だ。原点に立ち返り、自由な言論を封じるかのような風潮は、暴力と同様に、一掃しなければならない
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◆安倍内閣になっても小泉時同様、メディアが安倍を持ち上げる風潮は変わらないと思われる。こんな記事もある。
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安倍新政権にメディア戦々恐々? 東京新聞 特報
(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060923/mng_____tokuho__000.shtml)

 安倍政権が始動する。首相官邸の広報機能も強化するそうだが、気になるのは安倍流のメディア対応。自民党幹事長時代には「バランスを欠く」とテレビ局を痛烈に批判。党幹部の出演拒否などで物議を醸した。一方、自身については靖国参拝についても、ひたすら“だんまり”。権力のチェック機能を課せられたメディア側も押され気味だ。自省を込めつつ、同氏の「開放度」を検証すると-。

 自民党のメディア、特にテレビ局に対する強硬な姿勢への転換は、二〇〇三年九月の安倍氏の党幹事長就任と軌を一にしている。

 まず、〇三年十一月、衆院選直前にテレビ朝日の番組が民主党の閣僚構想を長く報じたことに抗議し、投開票当日に同局への党幹部の出演を拒否した。

 この際は、報道被害者の救済機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)が運営する「BRC(放送と人権等権利に関する委員会)」に安倍幹事長名で審理を申し立てるに至った。

 さらに〇四年七月の参院選では、TBS、テレビ朝日の年金報道について、報道各社に「政治的公平・公正を強く疑われる番組がありました」とする文書を二、三百件も送付。

 選挙戦でも「みどりの会議」の中村敦夫代表のHPに掲載されたパロディストのマッド・アマノ氏の作品に対して、幹事長名で削除を「厳重通告」した。

 この選挙後、安倍氏は幹事長代理となるが、自民党は〇五年八月には「NHK番組改変問題」で朝日新聞の資料が外部に流出したとして、記者会見以外での同紙による党役員に対する取材を事実上拒否する。同年九月の衆院選でも、造反議員への対立候補を「刺客」とあえて呼ばないよう、報道各社に文書を送った。

 ある民放の中堅社員は「政治家が報道内容に必要以上にピリピリしている現状は異常だ。安倍政権になって、その傾向が強まるのでは、と危機感を持っている」と率直に明かす。

 例えば、ことし七月、TBSのニュース番組で内容と無関係な安倍氏の写真が放映され、同局に総務省から「厳重注意」が下った件についても「昔なら番記者を呼んで『あれはない。何か悪意でもあるの?』『頼むよ。気をつけてよ』で済んだ話だった」と驚く。

 別の局の社員はテレビ朝日の出演拒否問題を聞いて「あぜんとした」と話す。

 「『おまえたちもテレビ朝日みたいになるぞ』と他の局への脅しにもなった。メディアで反論せず、すぐに司法やBRCに訴えるというのも理解しがたい」

 最近、テレビ局を監督する総務省もおかしくなってきたと語る。「総務省がすぐ『〇〇日に放送した番組のリポートを出せ』などと言ってくる。なぜ、と問いつめると『〇〇先生に聞かれて』とポロっと明かす」

 一方、自民党から通告書を受けたマッド・アマノ氏は「通告書というよりは脅迫状だった」と振り返る。

 そこには「自民党は(コピーの)改変を承諾していない。小泉総裁と自民党の名誉を棄損したのは明白だ」と断じていた。アマノ氏は「コピーの間違いを国民の立場から添削して差し上げたつもり。どうお考えになりますか」と安倍幹事長(当時)に対し“逆通告書”を送ったが、ナシのつぶてだったという。

 逆に安倍氏自身が取材対象となった場合、メディアへの対応はどうなのか。

 〇四年に近親者の名前が浮上した疑惑取材に取り組んだジャーナリストの山岡俊介氏は、安倍氏の事務所に質問状を送ったが「事情が分かる人がいない」と繰り返された末「ノーコメント」と電話を切られた。

 「今に至るまで質問状への答えはない。自分にとって都合の良い質問には答えるが、そうでない質問からは逃げる。他の同業者からも似たような反応を聞く。政治家の説明責任を果たしていない」(山岡氏)

 今春には、世界基督教統一神霊協会(統一教会)系の団体の集会に安倍氏が祝電を寄せたと報じられた。

 この件で、安倍氏はことし六月、「私人の立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送ったとの報告を受けている。誤解を招きかねない対応であるので、担当者によく注意した」とコメントを発表した。

 だが、この祝電を問題視した「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の公開質問状へは返答していない。

 祝電問題と一連の対応について「こちら特報部」も安倍氏の事務所に問い合わせたが「政治部を通して。番記者を通してください」と繰り返すのみ。経緯の確認もできなかった。

□靖国参拝問題なお明言せず

 政治姿勢に絡んでも、開放的とは言い難い。代表的な例は、ことし四月の靖国神社参拝が判明した件だ。国内の政治問題として焦点化していたにもかかわらず「参拝したかしないかについて申し上げるつもりはない」と繰り返してきた。

 首相就任後も参拝するか否かについても「外交問題、政治問題化する中で、あえて宣言するつもりはない」と明言を避けている。

 さらに先月、加藤紘一・自民党元幹事長の実家が放火された件では、小泉首相同様、事件から約二週間たって初めて「仮に加藤氏の言論を弾圧し、影響を与える行為だとするなら許されない」とコメントした。事件当日の午後から夏休みだったが「緊急を要する案件」とはみなさなかった。

 不気味なのは安倍氏当人とは無縁でも、その批判者に暴力的な攻撃が加えられている点だ。先の加藤氏のみならず、この間、安倍氏を激しく批判している田中真紀子元外相の自宅にも最近、脅迫電話や表札に生卵などが投げつけられた。

 こうした状況について、メディア訴訟に詳しい喜田村洋一弁護士は「米国では一九六四年にニューヨーク・タイムズを勝たせた最高裁判決以降、メディアが記事内容が虚偽であることを知っているか、真実性に関心を持たずに報じた場合を除けば、政治家のような公人はメディアに賠償を求められない」と紹介する。

 上智大学の田島泰彦教授(メディア法)も警鐘を鳴らす一人だ。田島氏は安倍氏の対メディア姿勢が顕著に表れた例として、NHK番組改変問題を挙げる。

□「権力を監視する認識ないのでは」

 「安倍氏本人は圧力を加えたつもりはなくても、放映前にNHK幹部に番組内容について何か言えば、客観的には圧力以外のものではなくなる。そこに思いが至らない。彼にはジャーナリズムが権力から独立し、権力を監視するという認識がないのではないか」

 新政権は反対も根強い改憲や共謀罪制定への意思を明らかにしている。田島氏は「現政権はメディアを利用しようとしたが、新政権は意に沿わないメディアに直接的に介入してくる恐れがある」と懸念する。同時にメディア側の「現状」にも危機感をにじませる。

 「取材からの排除や訴えられることが度重なると、報じる記者が社内で疎んじられかねない。NHK番組改変問題でも、取材した朝日新聞の記者や告発したNHK職員はその後、異動になった。メディア側の委縮はすでに始まっている

<デスクメモ> 今回、わが部の記者が自民党広報本部に取材を頼んだ。午後一時に電話すると「忙しい」。その後、四回電話してもダメで夕刻、本部に飛び込むと「忙しい!」。名刺交換すら拒まれ、廊下で待つとねばると、上司に電話。名刺交換にこぎつけたものの、そこで時間切れ。表玄関からの取材はやっぱり無意味?(牧)
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安倍と統一教会 安倍、変身バージョン 安倍:捏造された人気
(画像はSOBAさんが作られたものです)
≪関連投稿≫
サワヤカな安倍晋三
http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/171.html
投稿者 へなちょこ 日時 2006 年 6 月 11 日 03:23:49: Ll6.QZOjNOr.w
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◆今日安倍内閣発足ということで、明日からは臨時国会が始まると思います。安倍政治が私たち庶民にどのような影響をもたらすかという観点から、記事を書いていくつもりです。よろしくお願いいたします。

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2006年9月25日 (月)

真の民主主義のために必要な条件とは。

世論を捏造しておいて民主主義もへったくれもない、ということを、
「民主主義の世界への普及」を唱えるアメリカ政府・国民に言いたい。
タイのクーデターを「民主主義の危機」などと言って「憂いている」マスゴミにも言いたい。

本当に民意を反映した政治が行われるためには、以下の条件が必要だと思う。

1.政府と国民の間に情報の非対称性がないこと。
2.真実のみがあますところなく国民にもたらされること。
3.国民に、考える力があること。(教育がしっかりしていること)
4.精神の自由、表現の自由、言論の自由などが保障されていること。
5.国民が精神の自由、表現の自由、言論の自由などを行使すること。
6.三権分立が名実ともに機能していること。
7.政治家に憲法を遵守させる仕組みが存在し、機能していること。

1.政府と国民の間に情報の非対称性がないこと。

←不可能。情報収集能力においては政府は圧倒的に有利。
一般国民やマスコミが政府と同等の情報を得ることはまず不可能。
この時点で民主主義は絵に書いた餅となってしまう。しかし完全無欠が不可能なのは世の常だから、ある程度の情報の非対称性が得られればよしとする。
安倍は日本版CIA設立に意欲的だそうだが、これは政府と国民の間の情報非対称をさらに広げるだけである。
完全に政府から独立した、政府を監視するための情報収集機関を民間で作るというのならよいかもしれない。

2.真実のみがあますところなく国民にもたらされること。

マスコミが権力をしっかり監視し、政治/政治家を検証し、批判をきちんとすることが必要
監視すべき権力には、司法も入る。
警察からの事件情報を垂れ流している今のマスゴミには、司法権力を監視する気もなければ、その能力もない。冤罪は生み出される一方であり、容疑者とされる人物はマスゴミのドラマ仕立ての報道により生活をメチャクチャにされる。

3.国民に、考える力があること。(教育がしっかりしていること)

国民がバカだと政治家は喜ぶ。

小泉とかヨン様とかホリエモンとか、「プリンス・安倍」とかに熱狂するバカ国民。
靖国神社が国家のために喜んで戦争に行き、戦死することを名誉と思う国民を作るための国家戦略的施設であることを知らず、嫌中・嫌韓ムードを強め、日本が戦争のできる国になることを間接的に欲しているバカ国民。
北朝鮮を本気で脅威と感じ、迎え撃つ準備をしなければと考えているバカ国民。
マスゴミ報道を信じて、植草一秀を痴漢と思い込んで植草の書物を読もうとも思わないバカ国民。

悪政がやりやすすぎて笑いが止まらないだろう。

安倍が「教育改革」をすれば国民のバカ化はさらに進行するだろう。
ひょっとして小泉以前からずっと行われてきた文部省による「教育改革」も、国民のバカ化を最初から意図していたのだろうか。

4.精神の自由、表現の自由、言論の自由などが保障されていること。

←共謀罪、教育基本法改悪が通れば、もう無理。
私は教育基本法と共謀罪は効果は同じだと見ている。
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《関連投稿》
効果は共謀罪と同じ!奴らの戦略にだまされるな!
http://www.asyura2.com/0601/senkyo25/msg/587.html
投稿者 heart 日時 2006 年 8 月 22 日 10:04:41: QS3iy8SiOaheU)
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石原の東京の教育現場の実態を見ても、安倍の教育改革が国民の思想統制を意味することは明らかだ。
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《関連投稿》
『日の丸・君が代』被処分者のいま 私だけが座っていた (東京新聞)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/709.html
投稿者 彗星 日時 2006 年 9 月 19 日 08:12:00: HZN1pv7x5vK0M
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5.国民が精神の自由、表現の自由、言論の自由などを行使すること。

権利があっても行使しなければ何の意味もない
日本国民はおとなしすぎる。
フランスのCPEの時のフランス人を見習うべきだ。
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《関連投稿》
●[希望のトポス]「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/541.html
投稿者 鷹眼乃見物 日時 2006 年 3 月 21 日 10:56:37: YqqS.BdzuYk56)
●[AML 6586] Re: 村岡到:呆れた暴論??デモを嫌う民主主義?
http://www.asyura2.com/0510/hihyo2/msg/889.html
投稿者 gataro 日時 2006 年 4 月 07 日 21:02:33: KbIx4LOvH6Ccw
●“自由”を問い直す (東京新聞)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/804.html
投稿者 彗星 日時 2006 年 4 月 02 日 14:34:54
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6.三権分立が名実ともに機能していること。

←特に、司法が、「高度に政治的」であることなどを口実に9条関連訴訟などについて憲法判断を避け
(例;砂川事件最高裁判所判決;「日米安全保障条約は高度の政治性を有するから、一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り、司法裁判所の審査にはなじまない、と判示」http://kraft.cside3.jp/kenpou4-05.htm)、
国側に有利な判決を下し続けてきたことは、許されないことだ。
司法の役割は司法の立場で立法や行政に関する判断を下すことであり、決して立法や行政を擁護することではないはずだ。

7.政治家に憲法を遵守させる仕組みが存在し、機能していること。

←憲法があっても、権力者が遵守しなければ意味がない。
自民党が憲法9条についてやり続けてきた解釈改憲など、言語道断だ。
憲法は権力者を縛るためにあるのに、国民を縛るものと勘違いしている人が政治家には多いらしい。
確かに、「公共の福祉に反しない限り」といった文言が憲法には見受けられ、それは国民を縛ってると言えるだろう。
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例:憲法13条
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
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しかし、「公共の福祉」を盾にいたずらに国民の平和的生存権や自由を享受する権利を国家が奪ってもいいということではない。
憲法はあくまでも国家を縛るためのものである。
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《関連》
●「公共の福祉」ってなんだろう?(伊藤真)http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/09.html
●憲法って、ほんとに必要? [PJニュース]
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/465.html
投稿者 white 日時 2006 年 9 月 09 日 18:07:44: QYBiAyr6jr5Ac
(どんなにすばらしい憲法も、遵守されなければ無意味。憲法を勝手に解釈させない仕組み作りが必要、との趣旨)
●憲法を順守させる仕組み。違憲立法審査権。最高裁判所裁判官の人選の問題。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/468.html
投稿者 たけ(tk) 日時 2006 年 9 月 09 日 19:37:49: SjhUwzSd1dsNg
●憲法のもつ様々な権力抑制の仕組みが効力を発揮するためには、国民が真実を知りしっかりモノを言うことが必要。(伊藤真)
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/562.html
投稿者 heart 日時 2006 年 9 月 13 日 20:16:38: QS3iy8SiOaheU
(憲法には、与党と野党の対立、衆議院と参議院の対立、中央と地方の対立といった対立軸を利用して権力を互いに検証させ合う仕組みが予定されているそうです。)

以上の7つの条件が揃えば、真の民主主義国に近づけるのではないかと思う。

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