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2007年1月14日 (日)

全体主義一色に向かう日本。しかしこれを逆にテコにして日本を生まれ変わらせよう

これだけ自公政権がムチャクチャをしていても自公政権を旧態依然として支持している人たちは、一体どういう人たちなのか。
本心から自公政権の政策を支持しているのでない限り、その根底には他者への無関心と「自分さえよければ」という感情があると思われる。

個人主義という言葉は、利己主義と誤解され悪いイメージを持たれている(これも権力者側の陰謀?)。
しかし、個人主義というのは自分主義とは違い、自分も他者も両方尊重しなければならないという主義だと思う。
そうした、他者を尊重し合う多様な個が集まって社会を形成している、という考え方だろう。

他方、全体主義、集団主義は、全体、集団のためには個を埋没させることが要求される。そこでは、皆同じ行動を取るため、他者を区別する必要もない。
したがって個性など、ないに等しいし、あっても、尊重されることはない。

今の日本は、個人主義、全体主義、どちらだろうか。あるいはまた別の主義だろうか。

私は、全体主義と利己主義が跋扈し、その中で少数の者が個人主義を信奉している、という状況だと思う。
戦後、「自由と民主主義」ということで、自由ということが殊更強調されるようになった。しかし、人々は、全体主義から脱したわけではなかった。
その証拠に、学校では、あのすばらしい教育基本法を掲げていながらも、旧態依然と、集団教育が続いた。校長の前で皆整然と起立させられ、前へ倣え、だとか、気をつけ!だとか、軍隊式の調教教育が続いた。運動会でも、整然と行進させられる。それも、台の上から生徒らを見下ろす体育の教師が、怒鳴りながら、「一糸乱れぬ」行進ができるようになるまで何度も何度も練習させる。「威嚇」を伴いつつ行われるこうした「調教」は、子供に「お上」に逆らってはいけないという恐怖心を植え付け、個を殺すことを求めるものである。
こうした集団行動は、他者、他の個性を尊重するという心を育まない。尊重するも何も、皆同じ行動をしているだけなのだから、尊重しようがないのだ。
ここから子供たちが学ぶのは、集団の中では、自由も権利もない、ということ
である。

ところが、「自由」や「権利」という言葉だけは声高に叫ばれる。
そこで、子供たちは考える。
威圧的な集団から離れたら、「自分勝手な行動をする自由」や「権利」があるのだろう、と。

そこで、傍若無人な振る舞いをする者たちが増えた。

また、こうした者たちは、基本的に他者に対し関心を持たない。
他者を尊重するということを知らないからだ。
結果、多数者という集団から逸脱した「異端者」、少数者を見つけると、犯罪者を見つけたかのように、袋叩きにする。

モグラ叩きだ。

こんな社会で本来の個人主義に目覚めるのは、「少数者」くらいなものであろう。

このようにムチャクチャになった社会を、どう束ねるか。

社会の束ね方には二種類ある。

一つは、人々が互い(の個性)を尊重し、尊重し合う人々が社会を構成していく、という個人主義によるやり方。

もう一つは、上から人々を有無を言わせず命令によってまとめていく、全体主義によるやり方。

「上」の立場に立つ権力者がどちらのやり方を好むかは、火を見るより明らかであろう。

今少しでも残っている個人主義の風潮を抹殺し、全体主義一色に染めようというのだ。

安倍自公政権との闘いは、
多様な価値観を認めさせるための闘いであり、
少数者を認めさせるための闘いであり
(この「少数者」というのも、権力とメディアが作り出してきたものである可能性あり。例えば、国旗・国家法制定当時、日の君を国旗・国歌と認めていた人は半数程度だったそうだが、それを国民の大半が認めていると強弁した。)、
全体主義と闘って個人主義を勝ち取るための闘いなのである。

勝てるかどうかは、「全体主義と自分中心主義」に染まった人たちに政治に目覚めさせることができるかどうかにかかっている。
まずは政治が自分自身の生活に直接に影響を及ぼしてくるものであることを知らせることが必要
だ。

同時に、個人主義を普及していくことも必要だ。
集団の中で自分を殺す必要はないということを理解させ、また、殺さなくていいような雰囲気を醸成していかなければならない。
例えば労働組合などにも、会社という組織の中で個を大事にさせるよう働きかけていくための組織としての存在意義を持たせ、支持(心情的支持も含む)を増やしていく必要があろう。

つまり、お互いを認め合い、尊重し合うという、これまでは「訓示」にはなっても実践はほとんどされてこなかったことを実現する必要があるということである。

個人主義は、真の自由と民主主義社会においては基盤となるべき価値観である。

つまり、これまでの日本は、本当の意味では自由でも民主主義社会でもなかった。

全体主義を潰し、個人主義の確立に成功したとき、日本は生まれ変わる。

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≪関連≫

国家との同一化にすがる自尊心のあり方
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1141.html
投稿者 まさちゃん 日時 2007 年 1 月 09 日 12:50:36: Sn9PPGX/.xYlo

「独裁者」の命令によりロボット集団が織り成す「秩序」;「必要以上の秩序」を理由に強制に反対する権利はあるのか?
http://www.asyura2.com/0610/idletalk21/msg/1160.html

権力を批判する自由が存在しないところでは人間は尊重されているとは言えない(宮沢俊義氏)←「個人主義=人間主義」
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10023057646.html

「自由の国」を作ろう!
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10022421529.html

右派含めすべての方に訴えたい単一のイデオロギーを押し付ける教育改革及び改憲は、国を退廃させる
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/370.html

マスゴミ、無関心・非情な「愚民」、そして、悪法を通す政治屋。このトリオが悪政を作り出す
http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10023349008.html

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コメント

 今の政権は明らかに全体主義を強めたいように見えますね。個人主義は自分も他人も尊重するというご解釈も的を就いているでしょう。労働組合による改革に期待できるところもあるでしょう。
 しかし集団主義が圧倒的に強い日本社会で労働組合だけによる改革はできないでしょう。情報発信によって、海外からの支援を取り付ける必要もあると思います。

投稿: Omoimegurasu-Kame | 2007年8月23日 (木) 00時51分

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